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知って得するあさりの豆知識
あさりってどんな貝なの?
あさりの生態

あさりは濾過摂食者であるため、水質浄化機能が期待できる。成貝の濾水量は凡そ1個体で10L/日と多く、水質浄化と漁獲回復の双方を狙った干潟再生事業も少なくありません。海底の砂地に潜り込むため、砂地を柔らかくし、他の生物の生息環境を向上する役割も果たすことが出来るため、海域全体の環境改善に重要な役割を担うことができるのです。あさりの産卵期は3月から7月頃までで、この時期のあさりは栄養価も高く、一年を通して一番美味しい時期だと一般的に言われています。ただこれは過去のことで、ここ数年は海水温が高い状態が続いているため12月から2月までの冬期を除いた時期でもあまり身が痩せることがなくなり、美味しく頂ける時期が延びています。

あさりは餌となる植物性プランクトンを吸い込んでいると言われますが、実は吸い込む力は無く、吐き出すことしか出来ません。その反動で吸い込んでしまっているだけなのです。ただ嗜好性が非常に強く、口に合わないプランクトンはなかなか食べてくれません。そのため好みのプランクトンがいる海域に移動するのですが、ある研究機関が調査したところ、最高で一晩に100mもの距離を移動したあさりがいたことには驚きました。

あさりの歴史

日本の歴史上、あさりほどたくさん食されてきた貝類はないのではないでしょうか。
浅蜊が先史時代より食用とされていたのは、各地に残る貝塚が示す通りです。
古来より日本人にとって、非常に親しみのある食材であり、重要なタンパク源であったことがうかがわれます。
最近の研究では、貝塚の貝殻の量が、暮らしていた人々が食べるにしては多すぎることから、
海のない内陸地域への土産、あるいは物々交換品として、塩と一緒に運ばれていたのではないかと言われています。

あさりの語源は、「漁る」から来ているという説が有力です。
20年以上前は、日本各地で有り余るほど獲れていたあさりですが、現在は年々漁獲量が激減する一方です。
残念ながら蛤ほど極端ではないにせよ、現状では不足分を輸入に頼っています。

江戸の人々とあさりの関係

江戸時代、京都や大阪比較してあさりや蛤の値段が安かったため貝類は頻繁に食されていました。東京湾でたくさんとれた貝は、蛤・あさり・ばか貝(青柳)・猿頬貝(さるぼうがい)・牡蠣・蜆などです。『日々徳用倹約料理角力取組という、江戸の節約おかず番付では、魚類の2位に「剥き身切干し」というメニューがランクインしています。これはあさりや蛤などを砂抜きをした後、中身を殻から外したもののことです。また潮干狩りが行楽として確立したのは、江戸時代のことです。『東都歳時記』(1838年)によると、現在の4月から5月頃、「芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎・中川の沖、早旦より船に乗じてはるかの沖に至る。卯の刻過より引始めて、午の半刻には海底陸地と変ず。ここにおりたちて蛎蛤を拾ひ、砂中にひらめをふみ、引残りたる浅汐に小魚を得て宴を催せり」とあります。貝を獲りに行ったついでに平目も取れるなんて、今の私たちからしたら非常に驚いてしまいます。早朝、船に乗って干潮を待って浜(瀬)に降り、貝や平目や小魚を獲って宴会をして戻ってくるなど、現代のツアー会社の企画のようですね。